考えごと捨て場

吐き溜め

多面性の話

ひとりの人間は、果たして本当にひとりなのかというお話

いや、ほんとはね。こういう話を書くためにこれ始めたんですよ。ほんとほんと。ただ、界隈の話を書いた時、毒っ気を含ませたら別のアカウントで盛り上がっちゃって、んで、調子乗ったね。毒っ気意識しすぎてイキっちゃったね。反省。ちゃんと色々考えてることを書くぞ。

八方美人って言葉ありますよね。嫌われることのないよう、色んな人と要領よく付き合っていく人のことを指す言葉ですけど、あれあんまりいい意味で使われないですよね。〇〇さんは八方美人で調子のいいことばかり言ってる、とか。でもあれ割と当たり前のことで、みんな会う人会う人の前ではええツラしてるもんなんすよ。そらだって人に嫌われるん嫌やし、「コイツなら嫌われてもええわ」みたいな相手にも100%悪態つくわけやない、多少は取り繕ったりするもんなんやから。

小説やらアニメやらの感想で、「このキャラ、一貫性がない」みたいなことを言う人がいます。僕も小説書いてて、それをゼミで読まれてわちゃわちゃしてるんですけど、まぁ僕みたいなのが書いた小説だと「あっ、やっちゃった。確かに一貫性無くなってもうてるわ」ってなるんですよ。でも、発売されたり放送されたりしてる創作作品はプロが作ってるわけで、一貫性のなさはむしろ「あえて一貫性を無くしてる」と考えるべきなんですよね。で、じゃあここにあえて一貫性を無くされた人物がいるとして、それどういう意味があるの? って話なんですけど、「キャラクター」が一気に「人間」になるんですよ。

Aさんの前のアナタとBさんの前のアナタ、親の前のアナタと上司の前のアナタ、好きな人の前のアナタと嫌いな人の前のアナタ。多分全部別人やと思うんです。ガラッと変わらなくても、口調だけ文字起こししたら同一人物やとは思えなくなるほどには。でもそれって当たり前のことで、それが「人間」であるという事なんですよ。だけど、創作物には時折、誰の前でもず〜〜〜〜〜っと同じ人物であるキャラがいて、別にそれが悪いとは思わないけど、でもそれって「人間」じゃないよなぁって。たしかに、「キャラ」でいい時もあるんですよ。でも、物語にさらに深みを持たせられるのってやっぱりリアリティ(≠リアル)で、それをキャラクターに付けてあげて、「人間」にしてあげるのが大切なんじゃないかなぁって、思ってます。

あとあと、これは一人の人間に対する感情なんですけど、「好きな人を嫌いだと思う」という矛盾、これを持てるのもまた人間なんですよね。ライクでもラブでも良いですけど、すっっっっっっごく好きな人がいて、けど時折、その人をめちゃくちゃ嫌いになってしまう。言動でも交友関係でも会話からでも、なんでもいいですけど、小さなきっかけで「嫌い」って感情が湧き上がってきて、でもそれは、例えばグラフにすれば1箇所だけ盛り上がってるだけで、ほかのなだらかな「好き」があるから時間とともに収まる、そんでまた、たまに湧き上がる。そういう、一見するとむちゃくちゃ矛盾してるけど、そういうのが人間を人間たらしめてる。でもこれを「いや、コイツ好きって言うとったやん!なんで嫌いとか言い出すん!?おかしいやん!」って第三者に言われてしまうと、底辺にいるとはいえ一人の作り手としては難しい顔になってしまうな〜、と思いました。

最近日付変わる前に更新出来てなくて毎日書こうっていうのが逸れて来てるな〜。よくないね。毎日なんか書きたいけどね。これ1年続けたら、なんかすごい気がする。頑張るわ。
あと、これは完全な言い訳なんですけど、タイトル通り「考え事捨て場」なので、読みやすさはそこまで重視してませ〜ん。読んでも1人か2人やろ、こんなん。いつか小説のネタにしたり、小説を書く上で自分がブレないために残してます。ほな